SkiPerfect TVWomansPower2年間撮影&編集プロデュースという仕事は実にカッコよく聴こえていたのだが、
実際にやってみると寝る暇もなく神経を使うアシスタントがいなければ体が持たない雑用係で
実入りの少ないお仕事だ。
仕事の内容もTV番組から舞台、ビデオコンテンツ、雑誌や出版など幅広い、
スノーボード団体の広報1993年4月富山県チューリップTVTokyoレジャー情報(6週),中でもダイヤルQ2 などのちょっと怪しいコンテンツに自ら出演など、今でいうYoutubar的なことま で引き受けてやっていた。
最初は多いと思った予算もスタッフやレンタル機材などの経費で消えてゆく、
安いギャラじゃあ誰もついてこないわけだからいいスタッフをと思うと値がハルし弁当をケチるだけで動きが悪く融通が利かなくなる。
時には持ち出しなんてこともあった。じゃあ、なんでやってたいうと、気がつく暇がないのと、
とっても面白い『沼』なのでやりがいと言うか達成感は半端なくある。
前にも言ったが仕事というものはできない方が楽なのだ、
まあ、覚えないで済むなら下手に覚えないのが特なのだそうだ。
下手にできてしまうと何でもかんでも頼まれる。知らないうちに困った時のウルトラマンになってしまう。
その結果、1990年『OLLIE』というスノーボード誌を引き受けた時は悲惨で社員を7人引き連れて編集部を作り、予算がないからと写植のコーディングをPC98で自ら行い版下を作成し材料を持ってキャセイ航空に飛び乗る。
校正や印刷を海外(HONGKONG)でそして船便で日本のニッパンに!納品する。
全く現実とは思えない経験をする羽目に。そうなる元になったのは、アメリカのスノーボーダー誌との提携の話で、条件にページメーカーというソフトでの連携がが必要だったが、
まだ、当時Macは高額で導入できなかったで断念する。
どうしてそうなったかはわからないが、そのとき手元にあったPC98 とアウトラインフォントのワープロこれにより版下作成に舵を切らされた恐ろしいことだ。
その後、調子をこいて久保書店の『ドープ』一冊まる受けをして版下作成まで自分たちでやったが、納期に1日遅れるという大失態、3日も寝ずに一生分の敗北感を味わった。
今考えると、印刷物の安価な作成に強大な人間関係と知識を得たくらいが財産になった。これにより印刷物の余白で販促物をただ同然で作ってもらえるようになる。
この2年後、やっとMacintosh Quadraを100万円で手に入れページメーカー、イラストレーターでページ作成が可能になったがまだ、街の印刷所側が対応していなかったし写真の読み込みにはラボが必要だったのであまり役には立たなかった。
この時点で、『OLLIE』を逃げ出す。
ここから、PC98で映像ゲームソフトFD版を自社制作、Macを使用してCD ROMの作成を開始、スポンサー会社の出資によりソフト制作会社としても活動、2001年スポンサー会社社長死去により、アダルト系ソフトの製作を終了し、現在の形態に戻る。