■あまり写真は残っていないが動画があった

ラフデザインのあと当時はPC98というパソコンでえっちらデザインを起こして、業務用のカッテイングマシンで1色ずつ切っていく、時代とはいえ昔は大変だったんだよ『エッチラオッチラ〜』て感じなんだな〜
実際、仕上がりが悪けりゃシャレにならないが職人とは凄いものだと関心させられる。

絶対自分にはできない仕事だ。

 

石鹸水とドライヤーとプラスティックでできたスキジーで伸ばしながら、そして天敵の空気が.入ってしまったら厄介な事になる。針で気泡を潰して....など考えただけでも嫌になる作業なのだ!

 



 

Make a proMotion car

今では大型のプリンターでのラッピングが当たり前で街中でもアニメキャラクターのイタ車を見かけるが、これを作成した1999年にはレーシングカーなどもカッテイングシートかペイントが当たり前だった。仲間のプロショップの協力で我が社のプロモカーを造る事にした。

ベース車はワーゲンゴルフの中古車をネッツの中川氏に頼んで探してもらい5万円で購入。都合よく白で今回の計画にぴったりであった。

当時は人力舎の社長にもらったハイエースが主力の車両(B21Specialの移動車だった)のため取材など人だけ運ぶ目立ったが欲しかった。イメージ車両としてインパクトのあるデザインが要求されたのだろう。左右非対称のアリタリヤ(ランチャーストラトスのパクリ)風屋根のデジブラマークはカッテング、ルーフはプリント曲線部分の多い車への張り込みは熟練の技が必要だったが内田氏は一人でこれをこなす。いかにプロとはいえ
不器用で携帯のフィルムもうまく貼れない自分は恐れ入って余りある。
そして長い時間黙々と作業して出来上がってきた。見事な仕上がりに社員一同歓声が上がったんを覚えている。

のちに、コミケにもこいつで取材に行った。多分こいつがコミケの『イタ車』第一号であったに違いない。